月夜の晩にステッキを持って散歩に出る紳士。空を見上げると箒星(ほうきぼし)がスッと流れて消えていった・・・。
こんなシーンが出てくるとまるでメルヘンのようにも感じますが、『一千一秒物語』はメルヘンから遠く離れた星で書かれたような短編です。
『一千一秒物語』が書かれたのは大正12年。稲垣足穂の処女作です。
時代なのか、湿潤な風土がそうさせるのか、当時の日本の小説にありがちな湿った感情や情緒的なものは足穂の小説からは感じられません。
奇抜なユーモアとシニカルな文体は、いま読んでもまったく古さを感じさせない不思議な作品になっています。
稲垣足穂を初めて読む方、ちょっと変わった小説が読みたいという方におすすめです。
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一千一秒物語の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | 一千一秒物語 |
著者 | 稲垣足穂 |
出版社 | ちくま日本文学全集 |
出版日 | 1991年9月20日 |
ジャンル | 幻想文学 |
佐藤春夫の門下生となるため上京してから2年後の大正12年(1923年)、金星堂から『一千一秒物語』が刊行されました。稲垣足穂22歳。
佐藤家の離れを借りて住むほど親しくしていた足穂でしたが、あることが切っ掛けで2人は仲たがいをしてしまいます。
それ以来、文壇から距離を置くようになり、同人誌などに作品を発表して暮らしました。
足穂は『一千一秒物語』について「自分の書いてきたものはすべてこの作品の解説に他ならない」と言っています。
稲垣足穂作品の原点でもあるこの不思議な物語をどうぞじっくり味わってください。
一千一秒物語のあらすじ
幻想的でシュールな小説はいろいろありますが、『一千一秒物語』はそれまでとは一味違う物語です。登場するのは謎の紳士と天体(月や星)。
1話がとても短いのも特徴的です。
オチらしいオチもなし70篇の短編作
詩のようでもあり、散文のようでもある『一千一秒物語』。あらすじを説明するのはなかなか難しい小説です。
1話完結型のショートショート タイプで、きっちりとした起承転結はありません。
突然はじまり、ぷつんと終わる話が多いので、はじめて読む方は戸惑うかもしれません。
おもちゃ箱から好きなものを取り出すように、気になったタイトルから読んでみるのもいいでしょう。
夜のシーンが多く、登場するのは謎の紳士と月や星、たまに出てくるA氏など。
心理描写よりも状況描写の方が多く、「いったいなぜそんなことに・・・」と笑ってしまう話もあります。
幻想的な場面でも洒脱な言葉で書かれているからこそ、古さを感じさせないのかもしれません。
モダンな空気と異国の雰囲気
稲垣足穂は出身を聞かれると「私は神戸っ子です」と自慢するように言っていたそうです。
生まれは大阪ですが、少年から青年時代にかけて異国情緒が残る三ノ宮の山手で過ごしました。
鋭敏な感受性を持つ足穂にとって、大正時代のモダンな空気が残る三宮で暮らしたことは『一千一秒物語』に限らず、その後の作品にも大きく影響を与えています。
シガレット、ポリス、ムーヴィーの帰りにカフェーへ寄るなど、ちらりと出てくる言葉にも大正ロマンを感じます。
スラップスティック コメディ
謎の紳士が月と格闘するシーンや、ガス燈とつかみ合いをする話、月光密造者(人家の露台で月の光で酒を醸造する連中)がいる部屋の鍵穴にむけて自動ピストルで撃つ場面など、なかなかのハードボイルドな話が多いのも『一千一秒物語』の特徴です。
しかし中には、お月様が夜遅くパリーの場末を歩いていると突然キスされ、それが誰だったのかわからず、お月様は一生懸命に考えたけれど思い出せなかった、といったちょっとロマンチックな話もあります。
月や星を擬人化してドタバタ劇を繰り広げる不条理な笑いは、スラップスティック コメディのように楽しめます。
一千一秒物語を読んだ感想
初めて読んだときは、この時代に(大正12年)にこんな乾いた洒脱な文体で小説を書く人がいるのかと驚きました。
奇抜なユーモアに溢れていますが、面白さだけに流されず、どこか詩的で美しいのです。
一度読んだだけでもハマってしまう不思議な物語です。
読みなれない小説を読む、想像力
はっきりとしたプロットがあるわけではない『一千一秒物語』を読んだときは、何が何やら分からず、いったいこれはなんなのだ?と考え込んでしまいました。
「いつ、どこで、誰が、どうした」をはっきりしてくれないと、頭の中で物語が進んでいかないのです。
幻想的で、無声映画のような雰囲気の話は好みですし、笑える話もあるのに、なぜかすらすらと読み進めることができない。
最近は想像力を駆使して読むよりも、「物語の展開が早く、分かりやすく、想像しやすい」本が多くなった印象がありますが、自身もそのような本に慣れてしまったのだと気が付きました。
紳士の素性よりも、紳士が何をやったか
物語の中心人物ともいえる紳士の素性は明らかにされていません。どんな職業で、何歳で、家族はいるのか。
素性はわからないけれど、紳士が何をやったかはドタバタ劇のようにしっかりと描かれています。流星と格闘し、ポケットの中に月を入れて歩き、星を食べてしまう(ちなみに、冷たくてカルシュームみたいな味だそうです)。
おかしな状況や、曖昧なことを丸ごと受け入れ、描かれていない部分を想像しながら読むと、紳士の素性などどうでもよくなっていきます。
どんな人物なのかわからないからこそ、この小説は幻想的でシュールなのです。
『一千一秒物語』を読み終えると、分かりやすく簡単なことばかりに慣れてしまった頭やこころがほぐれていくような感覚になりました。
月と星、人間との対等な関係
謎の紳士は月や星と格闘したり、ガス燈とつかみ合いになったりもしますが、紳士が一方的にやり込めることはありません。月や星も紳士をやっつけ、常に対等な関係にあるのです。
足穂は人間の権威など意識することも信じることもなかったのではないか、と思えてくるほどです。
対等なもの同士が(まことにおかしな形で)やり合うから、この物語は面白いのでしょう。
一千一秒物語はどんな人におすすめ?
こんな方におすすめしたい『一千一秒物語』。
- シュールな小説が好き
- ショートショートのような超短編が読みたい
- 昔の純文学に興味がある
これといった起承転結もなく、いきなり物語がはじまり、すとんっと終わってしまう話が多いです。読み始めは戸惑うかもしれません。
幻想文学ではありますが、話に出てくるのは得体のしれない気味の悪い物ではなく、夜空を見上げればそこにいる月や星がメインです。
シュールでちょっとロマンチックな小説がお好きな方なら楽しめるはず。紳士のドタバタ劇をスラップスティック コメディのように楽しむのいいですし、詩がお好きな方にもおすすめします。
まとめ
稲垣足穂の名前を聞いても、すぐに分かる方は少ないかもしれません。知る人ぞ知る作家のイメージもあります。
しかし、『一千一秒物語』は足穂の小説の中でも人気が高く、物語を絵にする画家もいますし、一度読んだら忘れられないという人も多いです。
『一千一秒物語』が出版された当時、作家の宇野浩二は「それまでになかった新鮮な特異な物語」と評しました。
今の時代でも、足穂の物語はそれまでになかった新鮮さを失っていません。
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