「一日中コラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますか?」
前職を燃え尽き症候群のような状態で辞めた主人公が、再就職したいのかよく分からぬままハローワークの相談員さんに放ってしまったひとこと。
きっと怒られると思いきや、「ぴったりな仕事があります」と、とある仕事を紹介されるところからこの物語は動き出します。
主人公は本作の中で5つの仕事を経験。
どれも本当にあるようなないような、一風変わった仕事ばかり。
どんな仕事にも何故か没入してしまう主人公が最後に行き着く先とは・・・?
クスッと笑いながら読み進めるうち、「とりあえず明日もやってみようかな」という気分になれる、仕事に疲れた全社会人に読んでほしい一冊です。
著:津村記久子
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『この世にたやすい仕事はない』の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | この世にたやすい仕事はない |
著者 | 津村記久子 |
出版社 | 日本経済新聞出版 |
出版日 | 2015年10月15日 |
ジャンル | お仕事小説 |
著者の津村記久子さんは、2005年に『マンイーター』で太宰治賞を受賞しデビュー。
2009年には『ポトスライムの舟』で芥川賞を受賞。
デビューから7年にわたり会社員と作家の兼業を続けており、自身の体験も織り交ぜた、現代の女性と仕事をテーマとした小説を多く手がけています。
淡々と鋭い視線で労働問題を描き出しつつも、クスッと笑えるユーモアをそこここに散りばめ、最後にはそっと背中を押してくれる。
『この世にたやすい仕事はない』は、そんな著者の持ち味を存分に堪能できる作品です。
『この世にたやすい仕事はない』のあらすじ
身体的にも精神的にも焼き尽くされて、長く働いた前職を辞した主人公。
迷いながら職探しをする彼女は、物腰の柔らかな相談員・正門(まさかど)さんに導かれるように、風変わりな5つの職場を経験していきます。
それぞれの職場で変わった不思議な体験をし、さまざまな感情を味わった彼女が最後に辿り着く場所とは?
身につまされつつ笑って共感できる、既成の枠から大幅にはみ出したお仕事小説です。
みはりのしごと
「一日中コラーゲンの抽出を見守るような仕事」をしたい人にぴったりな仕事として正門さんから紹介されたひとつめの仕事。
それは、監視映像チェックの会社で、一人暮らしの小説家・山本山江の在宅での生活をすべて監視する、というもの。
山本山江はどうやら、知人からそれとは知らずに密輸品の「わりとやばい何か」を預かっているらしく、カメラを仕掛けてその「ブツ」を見張る必要があるらしいのです。
自分が「わりとやばいブツ」を持っているとは夢にも思っていない様子の山本山江は、パソコンの前に座って自身の小説を書こうとしたり、延々とネットサーフィンをしたり、食事をしたり、DVDを観たりといった何の変哲もない日常を過ごします。
山本山江の行動に細かくツッコミを入れ、時には振り回されたりしながらも、基本的には淡々と過ぎゆく監視の日々。
しかしある時、山本山江は急に思い立って「ブツの隠し場所」とされている、DVDケースがアホほど積まれた山を整理し始めます。
知人が「ブツ」を入れて預けていった、山本山江が観なさそうなDVDはどれなのか?
監視を通して得た山本山江の嗜好を踏まえて主人公が出した結論は・・・?
バスのアナウンスのしごと
次に「劇的でない変化がある穏やかな仕事」をお願いして紹介されたのが、バスのアナウンス編集の仕事。
循環バス『アホウドリ号』の存続に必要な広告費を捻出するため、「鼻水が止まらない!そんな時はぜひ竹山耳鼻科に~~」といった類いのアナウンス広告をたくさん作成・編集してほしい、というものです。
しかし初日から、「それだけでなく、江里口君を見張ってほしい」と担当課長に神妙な顔で妙なことを依頼されてしまいます。
この仕事の先輩である江里口さんは落ち着いたしっかり者で、彼女に何か変なところがあるとは到底思えませんが、課長は「ないものが現れて、かと思うと・・・」と更に意味不明なことを言い出す始末。
首を捻るしかない主人公でしたが、実際に「アホウドリ号」に乗って自分たちが作ったアナウンスを聞いてみていたところ、違和感が。
いつも通っているのに知らなかった、では済みそうにない真っ赤な五階建ての建物が目の前に現れ、江里口さんが作った「極東フラメンコセンターにお越しください!」のアナウンスが流れたのです。
またある日、江里口さんが追加したアナウンスを聞いて、「こんなお店なかったはず」と現地へ向かった主人公が見たのは、昨日開店した、という真新しい店舗。
くだんの課長から更に「以前現れた店の音声をしばらくたってから消してみたら、その店は消えるように閉店した」と聞いて魔が差した主人公は・・・?
おかきの袋のしごと
軌道に乗ったバスのアナウンスの仕事は終了を迎え、江里口さんも転職。
次は創業四十年のおかき製造の会社で働くことを決めます。
自社のおかきの袋裏に「世界の謎」や「毒のある植物」など個性的な短文を印刷しており、バスのアナウンスの仕事を活かしてその袋裏の話題や文章を考えてほしいとのこと。
「とても重要な仕事」という言葉に重圧を感じながらも、取り敢えず前任者の話題を引き継いで文章を作成し始めます。
そのうち新規の話題を企画することになりますが、会社の慣例で袋裏の話題は従業員の投票に懸けられることに。
プレッシャーを感じながらも日々試行錯誤していくうち、袋裏の仕事にのめり込む主人公。
そんな折、初の試みである「ふじこさん」というキャラクターを登用した新商品の開発が決定し、袋裏の話題も「ふじこさん」の発言として考えることに。
かなり追い詰められながらも「ふじこさんの穏やかアドバイス」という話題を思いつき、社内の賛同も得て発売された新商品は、袋裏も含めてかなりの評価を得ることになりました。
しかし、全国紙に「ふじこさんの袋裏のアドバイスに夫が命を救われた」という藤子さんなる人物からの投書が載ったことで事態は一変し・・・?
路地を訪ねるしごと
「透明に近い仕事が良い」という境地に達した主人公に正門さんが紹介したのは、店舗や民家などを訪ねてポスターの貼り換えをする仕事。
雇用主の盛永さんがデザインした交通安全など三種類のポスターを持って指定されたエリアの古いポスターと貼り換え、併せて住民についての簡単な調査と他のポスターを貼っている家のチェックを行う、というものです。
仕事を行っているうちに気になってきたのが、何だか違和感を覚える美女、もしくは美男が写った「さびしくない」という団体のものらしいポスター。
住民に話を聞いていくうち、だんだんと把握できてきた「さびしくない」という組織の怪しげな実態。
そして盛永さんの目的は、ポスターを貼ることではなく貼らせないことでは?と考えた主人公は、「さびしくない」のポスターを盛永さんのポスターにひっくり返そうと試み始めます。
この仕事は面白い、向いているかも、と思ったりしていたある日の朝、盛永さんの事務所のシャッターに赤い塗料で「孤独に死ね」と落書きされる事件が勃発。
その後急に床屋へ行くと言って出ていき、別人のようになって戻ってきた盛永さんは・・・?
大きな森の小屋での簡単なしごと
半ば放心状態の主人公が次に正門さんに紹介されたのは、とにかく簡単!と強調されているという、大きな森の小屋での事務の仕事。
途方もなく広い公園の「森の恵み地区」にぽつんとある小屋での仕事で、基本的にはいてもらうだけで良いけれど、取り敢えず公園の中の博物館で行われる展覧会のチケットにミシン目をひたすら入れてくれと言われます。
それに飽きたら周囲を散策して、何か見つけたら地図に書き入れて欲しい、と。
ぼろっぼろのウインドブレーカーやタオルが、小屋より奥地の道がないエリアの木に引っかかっていることや、前任者は静けさのあまりおかしなことを言い出したらしいという情報に不穏さを感じながらも仕事をし始めた主人公。
栗の身が入っていないきれいに割られた大量のいが、立て札どおりにいくら進んでも見つからないパンノキの茂みなど、その後も多少の不思議に遭遇しますが、大枠では平穏な日々です。
そんなある日、小屋のコンロに、ないはずの温かさが感じられ・・・めんつゆが一食分減っていたときにはさすがに不安に襲われます。
そしてついに、小屋に持ち込んで閉じてあったはずのフリーペーパーが、外出の間に、とあるページで開かれた状態になっているという明らかな異変が。
しかも小屋から飛び出した主人公は、走り去る人影のようなものを目撃。
更には公園になどあるはずもない、主人公の最初の仕事に関係のある新書を見つけて・・・?
『この世にたやすい仕事はない』を読んだ感想
本書は実感がこもりにこもったお仕事小説でありながら、不思議なファンタジー要素も盛りだくさん。
ニヤリとしながら、仕事の辛さや苦悩に共感することが可能です。
いろいろな要素が組み合わさっているけれど、いいとこ取りで、複雑なことは一切なし。
いつの間にかさりげなく背中まで押してもらえる、とってもお値打ちな推奨品です。
この本にユーモアのないページはない
著者が大阪の出身だから、というのも関係しているのでしょうか。
本書の大きな魅力のひとつは、数ページ・・いや数行に1度くらいの割合で、ニヤリとしてしまうポイントがあることです。
決して爆笑ではなく、「ふふっ」「くくっ」といった感じの可笑しさ。
語り口が淡々としているので余計に可笑しさが増幅されるのかもしれません。
ひとつ例を挙げてみましょう。
最初の仕事で監視対象者が見ていたWebチラシの『直輸入ソーセージ(ヴルスト)1㎏-498円!!!!!』に触発され、破格すぎる!何としても買う!!と決めた主人公。
該当スーパーの閉店に滑り込みで間に合うも、「特売は昨日で終わり、売り切れ」・・・
監視対象者の映像は前日のものだった!!とそこで気づく、というくだり。
「あたしなんか3㎏も買っちゃったわよ、冷蔵庫に入らなーい」と言いながら通りすがったおばちゃんに芽生えた殺意。
絶妙です。
本書の中に書いてあるとおり、そのまま読むと、更にものすごく絶妙です。
現代女性の労働問題という重めのテーマを淡々と描きつつも、ユーモアを忘れない。
これは彼女の作品でなければ味わえない、津村記久子氏の専売特許と言っても過言ではない読み口でしょう。
この物語に実感のこもっていない話はない
本書の著者は、就職氷河期にやっと就職した最初の会社でひどいパワハラにあい、追い詰められて10ヶ月で退職したという過去を持っています。
しかし、ハローワークの紹介で出会った就職カウンセラーにかなり励まされた彼女は、約1年後に再就職。
その会社では、2005年に小説家デビューした後も、2009年に芥川賞を取った後も働き続け、計10年半勤務。
17時半に会社が終わってから20時くらいまで喫茶店であらすじを練り、帰って22時くらいから夜中の2時まで寝て、2時から5時くらいまで小説を書き、また寝て起きて会社に行く・・・という生活をずっと続けていたというから驚きです。
さすがにある時点で体が持たなくなって専業作家になったと言いますが、彼女自身が仕事をとおして体験したこと、感じたことが本作にも大いに反映されているのは確実で、だからこそ私たちは本作に思い切り共感してしまうのだと思います。
本書を貫いている軸は、長年働いた最初の仕事への思いです。
やりがいがあるけれど、心身ともに疲れ果て、燃え尽きてしまった仕事。
その仕事でできてしまった穴を埋めるように、5つの仕事を転々とした彼女が、最後に辿り着いた場所。
実感がこもっている文章だからこそ、本書の最後の一文について、読者も祈らずにいられません。
この小説にたやすい分類はできない
本書を手に取ったとき、帯には「お仕事ファンタジー小説」と記載されていました。
お仕事ファンタジー???と「?」だらけで読み始めた本書でしたが、主人公が紹介されるのは、確かにファンタジーな要素満載のお仕事ばかり。
特に第2話のバスのアナウンスの仕事では、摩訶不思議な現象が起こって、主人公も読者もびっくりです。
また、本書はミステリー?と思わせるような謎や仕掛けも盛りだくさん。
第1話のみはりの仕事では最後に推理力が試されますし、第5話の公園での仕事などはまさに、たくさんの謎を集めて真相を解き明かすミステリーそのものです。
第4話のポスター貼り換えの仕事などは、社会派の香りも漂わせ・・・。
つまりこの小説は分類不能。
いろいろなジャンルの要素が組み合わさって出来ている、いいとこ取りのお仕事小説と言えるでしょう。
この世にたやすい仕事はない!けれど・・・
最後に注目したいのが本書の読後感です。
まずは相談員・正門さんの手腕にうならされることになる、ということを言っておきましょう。
その後、温かい気持ちになり、何となく仕事頑張ろうかな、と思うことができると思います。
その「励まし感」は、例えるなら、本物の紳士が淑女をエスコートするようなさりげなさ。
(・・・余計分かりにくくなっていたら申し訳ありません。)
仕事は甘くないのよ!さあ頑張れ!!という押しつけがましさは決してありません。
いっちょやってやるか!という気持ちになる、というのとも少し違います。
まぁちょっと前でも向いてみようかしら、というような感じが最も近いのではないでしょうか。
何をやるにしても予想外のことが起こるし、この世にたやすい仕事はない。
それでもちょっと動き出してみようかなと思える、そんな読後感が味わえます。
『この世にたやすい仕事はない』はどんな人におすすめ?
本作は、「仕事」と聞いて少しでも反応を示した方全員に手に取って頂きたい小説ですが、特におすすめなのはこんな方です。
- 仕事に疲れて凹んでいる、もしくは凹んだ経験がある
- 漠然と、仕事って一体何だろう?と思っている
- これから新たな一歩を踏み出そうとしている
- 何にも考えずにクスッと笑える小説が読みたい
- ちょっとした不思議や謎解きを楽しむような読書がしたい
著者は純文学の新人賞である芥川賞の受賞者ですが、本書は良い意味で、純文学といってイメージする難解さや格調の高さをあまり感じさせない作品です。
むしろちょっと手に取ってパラパラ捲り、「くくっ」と笑いながら気軽に読んでほしい一冊。
連作で、ひとつひとつのエピソードは短いので、通勤電車などで読むのにも最適です。(マスク着用は本書を読む際に上がる口角を隠すのにも有効なので、お忘れなく。)
読み終えた時には、背負っていた暗いものが消え、どことなく身軽になっているのを感じられることでしょう。
おわりに|未知の場所へ一歩踏み出したい人に贈るエール
他の人の仕事の実態について、私たちは実際のところほとんど何も知りません。
著者もとあるインタビューで「たとえ親しい人の仕事であっても、私たちはほとんど何も分かっておらず、他人の仕事はSFのようなものだ」という趣旨のことを話しています。
本書の相談員・正門さんが言うところの「仕事との愛憎関係に陥る」事態になり、傷ついたり疲れ果てたりした経験がある人は特に、「知らない場所」へ踏み出すのが恐ろしくて仕方ないはずです。
かくいう私もそのひとりでした。
本書はそんな読者の未知を既知に変え、恐ろしい場所をユーモアで包み、あくまでさりげなく前に進む勇気を与えてくれます。
この世にたやすい仕事はない。
それでも、私が一歩踏み出せたように、あなたの一歩がどうかうまくいきいますように。
著:津村記久子
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