子どもとは、無邪気なばかりではないと知っている大人も多いでしょう。
時に近所の子どもを見て、時に自分の幼い頃を思い出して、子どもという生き物の残酷さを思い知ることがあるのではないでしょうか。
その無邪気さは些細なこともあれば事故に繋がりかねない出来事を引き起こすこともあります。
そこに確たる意図や悪意があるかは定かではありません。
悪事を犯した人間を裁くのは大人ですから、子どもの無邪気さに隠れた残酷は見抜けないのです。
そうして、闇に葬られた無邪気さによる残酷はたくさんあることと思います。
それはたとえば、取り返しのつかないことだったり……。
著:乙一
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『夏と花火と私の死体』の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | 夏と花火と私の死体 |
著者 | 乙一 |
出版社 | 集英社 |
出版日 | 2000年5月19日 |
ジャンル | ホラーミステリー |
本作品はホラーミステリー作家の乙一さんによるデビュー作品です。
短編小説なので読みやすく、それでいて読了後の心にずっしりとした鉛を残していきます。
夏、小さな村で起こったひとつの無邪気さにより兄妹は悪夢の4日間を過ごすこととなるのでした。
『夏と花火と私の死体』のあらすじ
花火大会を間近に控えた村で夏のある日、無邪気さによる残酷でひとりの少女が殺されます。
その無邪気さによる残酷というのは、なんてことない、子ども特有の些細な嫉妬心とかそんなものでした。
殺害した本人である少女と2歳年上の兄である少年は死体を隠し通すべく、ある場所へ隠したり持ち運んだりとしながらその小さな頭を必死に巡らせてゲームのようにクリアしていきます。
村の友だち
9歳の少女五月(さつき)はこの物語の主人公です。
死体となってからも彼女の目線で話は進み、そして終わります。
五月を殺したのは同級生の少女弥生(やよい)ですが、ふたりは決して仲が悪かったわけではありません。
いつも五月、弥生、弥生の兄の3人で遊びまわっていたほどですから。
その弥生の兄というのがふたりの2歳年上である健(けん)でした。
優しく頭の回転が速い、おそらくこの作品のなかでもっとも無邪気さによる残酷を濃く持っている登場人物でしょう。
弥生、健の従妹である緑(みどり)はアイスクリーム工場で働いており、よくアイスを持って兄妹の家を訪れます。
幼少期、健に似た男の子を好きになりましたが、それはけっきょく叶わない恋でした。
兄妹の仄暗い冒険譚
弥生は実の兄である健のことが好きで、健は従妹である緑のことが好きでした。
そして五月もまた、健のことが好きだったのです。
それが引き金となって起きてしまった無邪気さによる残酷な、しかしれっきとした殺人事件。
死体となった五月は兄妹の手によりまるでモノのように扱われ、犯人である弥生はいつか捕まってしまうと震え続け、兄の健はそんな妹を励まし焦りながらもどこかゲーム感覚で大人たちの鋭い目や言及から逃れます。
五月はその状態であっても見るに堪えない死体の姿を好きな男の子である健に見られることを恥ずかしがったりとするので、ついまだ生きているのではないかと錯覚させられるのです。
果たして幼い兄妹は死体を隠し通すことができるのか、そしてどこへ隠すのか。
ぜひ最後まで読んでみてください。
悪い夢
この作品を表す一言と言えば〈風邪をひいたときに見る悪夢〉この言葉が一番しっくりきます。
きっと読みながら、あるいは読み終わったあと、ああ確かになと思うことでしょう。
乙一さんの魅力はそこにあるのです。
明るい作品もありますがこの作品のように暗く心地悪い鉛のような重さがある作品は特に心に残るものです。
まるで読者の心を蝕むように、じわじわと侵食していく……。
それは悪い夢のごとく、ぬるく、冷たく。
無邪気さによる残酷
この記事で散々書いてきた無邪気さによる残酷ですが、これは現実世界でもよく見かけますね。
子どもに限らず大人ですらそれを持ち合わせている人間はいますが、ここでは子どもに絞ったうえで書いていきたいと思います。
子どもという生き物は大人が思っているよりもずっと無知でそして賢く、つまり子どもの行動というのは大半が大人には予測不可能だという事実にも繋がるでしょう。
無知を孕んだ無邪気さゆえにとる残酷な行動には子どもなりの知的好奇心が溢れているように、わたしには感じられます。
そしてその様子を、さも目の前で繰り広げられているかのように感じさせるほどの文章を書くことができるのが、この乙一さんのすごいところなのです。
『夏と花火と私の死体』を読んだ感想
少しだけ展開が読めてしまうという点を除けば、この作品はとても素晴らしいです。
狂気を纏いながらも中学生にもすすめられるほどの読みやすさと理解のしやすさ、それらは当時16歳の作者が書いたデビュー作とは思えません。
あらゆる評論家が天才と評したのも頷けます。
短編の世界を最大限に活かす
143ページという短さに、ここまでの密度。
しかしだからと言ってぎゅうぎゅうに詰まっているわけではありません。
程よく濃い密度に程よく与えられる情報、すべてがちょうど良いのです。
短編小説というのは時に長編小説よりも構成が難しいことがあります。
限られた文字数の中でいかに読者をその世界に引きずり込むか、いかに読者を満足させるか、いかに世界を広げるか。
乙一さんは16歳という若さにしてそれをいとも簡単に成し遂げたのです。
それがどれほどのことなのか、少なくとも、趣味として下手の横好きで小説を書くわたしは、尊敬します。
少女目線のホラーミステリー
五月は9歳の少女です。
そんな幼い少女目線なのですから文体がやわらかいのは当たり前、なのでしょうか。
読了後、ホラーミステリーを幼い少女目線で書くというのはかなり難しいことではないのかとわたしは思いました。
大人目線ならば難なく使うことのできる難しい言い回しや豊富な語彙、それらは幼い少女目線というだけでかなり縛られます。
もちろんそれは9歳の少女には語彙も想像力も限られているからです。
そんななかであんなに薄暗く陰鬱な世界が生み出せるのかと、表現力の高さに敬服するほかありません。
『夏と花火と私の死体』はどんな人におすすめ?
薄暗いホラーミステリーなので多少読む人を選ぶかもしれませんが、前述したとおり文体や読みやすさからすると中学生以上ならばおすすめできる本となっています。
ホラーミステリーと言ってはいますが、グロい描写や恐怖を煽るような展開はありませんので、子どもにも安心して読ませることができるでしょう。
- 乙一作品に興味がある人
- 簡単なホラーミステリーが読みたい人
- 伏線回収の気持ちよさが好きな人
そんな人たちにおすすめしたい作品となっています。
おわりに
わたし自身幼い頃の記憶があまりないのですが、無知を孕んだ無邪気さゆえに友だちを傷つけてしまったことなどは覚えていますし、それは一歩間違えば弥生のように誰かの命を奪いかねないことでした。
わたしに限らず、それは子どもならば誰だってあることです。
無邪気さで五月を殺した弥生、五月の死体をゲーム感覚で隠し通そうとする健。
いつだって狂気を持ち合わせている子どもの無邪気さによる残酷をここまで表現しきる乙一さんはやはり一目置かれるべき存在なのでしょう。
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