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『ウエハースの椅子』感想|江國香織による歪んだ宝石箱のような人生

天気の良い昼間、バスタブにお湯と冷水ともつかない生ぬるい水を張ってただぼうっとするだけのような時間を過ごしたことがありますか?

それはとても居心地がよくて、世界の時間が止まったような錯覚にさえ陥りそうになる、そんな空間です。

江國香織の『ウエハースの椅子』を読んでいるあいだ、わたしは常にそんな空間に身を置いている気分でした。

ただ、一人の寂しい中年女性の人生の過去現在を覗いているだけなのに、この居心地のよさはいったいなんなんだろうと、読了後もずっと考えていました。

万人受けはしないであろうこの作品を、あの時間を、あの空間を、わたしはこれから文字にして伝えていきたいと思います。

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『ウエハースの椅子』の概要

出典:Amazon公式サイト

タイトルウエハースの椅子
著者江國香織
出版社新潮社
出版日2009年10月28日
ジャンル大人の恋

程よい冷たさがある作品と言えば、わかる人にはわかるでしょうし、わからない人には全くわからないでしょう。

まずこの本にわかりやすい起承転結や物語性はなく、ある一人の中年女性が自分の過去と邂逅しながらたおやかに現在を生きる本です。

細い刺繡糸で綴られたような、繊細で無味無臭な、そんなお話になっています。

『ウエハースの椅子』のあらすじ

30代後半の主人公〈私〉は自宅兼アトリエのマンションに一人で住んでいます。

結婚はしておらず、たまに訪れる恋人との時間に閉じ込められて、恋人が去ると解き放たれるのです。

〈私〉はたびたび、両親や両親の友人に知人、母が可愛がっていた犬、もうこの世にいないそれらの生き物の死について考えます。

それから〈私〉が形成された幼少期の出来事、及び思い出と呼ぶには少し黒ずんだ記憶を思い出しながら、旧友を訪ねるみたいに会いに来る絶望をやり過ごす毎日を送っているのでした。

そして〈私〉は悲壮の道を、ずっとずっと歩いていきます。

登場人物

〈私〉は38歳だけれど、その人生はまるで子供のそれのようで、かと思えば老人のそれのようであって、とても中年女性のそれにはみえないと感じています。

幼い頃から自らの存在意義について「紅茶に添えられた角砂糖のよう」だと認識していました。

現在の〈私〉には一人の恋人がいます。

恋人は言葉巧みに〈私〉の心を閉じ込めたりとりこんだりして、泊まっていったり帰ったりするのでした。

そして彼には、家庭がありました。

〈私〉は両親ともども死別していますが、残された唯一の肉親である妹だけは今も良好な関係にあります。

自宅へ来て〈私〉を子供みたい、変わっている、孤独な人、などと言ってまた去っていきます。

そんな妹に、約2年ぶりにできた恋人は大学院生で言葉数が少ない男性でした。

あらすじや内容

幼いころより自分の居場所があるようで、でも必要とされているのかいないのか明確にはわからず、そのことに対して不平不満があるわけではないけれど納得もいかない。

自分の立ち位置はそうなのだと認識しながら〈私〉は生きてきました。

〈私〉の人生にわかりやすい悲壮感はありませんが、この本全体に薄い布が掛けられているのと同じように、〈私〉の現在はティッシュペーパー1枚の向こうに潜んでいるように思えます。

それは明確にするならば、例えば〈私〉の容姿について、恋人が持つ家庭について、そして登場人物全員の名前について、なにも語られないことです。

なんの支障もなく始めから終わりまでその調子で話は進み、ついに〈私〉はあらゆるものを手放そうとして、死を夢見るようになるのでした。

名前の存在で区切られた生と死

登場人物の情報は名前、容姿すら語られません。

恋人、妹、妹の恋人、あるいはあなた、という三人称で話は進んでいきますが、ただ家族だった犬や〈私〉のマンションにやってくる野良猫たちには名前がありました。

彼ら彼女らに与えられたのは、大まかな年齢と性別、それから各々が持つ人間性の表面だけです。

名前が与えられない登場人物と名前が与えられたさして重要ではない動物たちの対比はとても美しく、ただそれだけの違いが生み出すのは生命力だと思われました。

そもそもこの作品の登場人物たちに対して、わたしは生きている人間だという実感があまり湧かずにいました。

それは視覚的に説明すると肌が青白く唇は紫色で、血色感がないような、そんなイメージです。

比べてしまえば犬や野良猫たちのほうがよっぽど生命力を感じるのです。

名前の有る無しでここまで作品の、人物の雰囲気を薄暗く表現できるものなのだなぁと、わたしは改めて江國香織のすごさを感じました。

『ウエハースの椅子』を読んだ感想

決して明るい話ではありませんが、読了後に残るのは後味の悪さなどといったものではないと断言できます。

この本を語るうえで必須なまとめは上記の一文でしょう。

さっぱりするわけではない、でも5月の風のような気持ちよさを感じることができるのです。

すべてはすりガラス越しの出来事

わたしには〈私〉が常に自分の人生をすりガラス越しに見ているのだと、そう感じられました。

過去を思い出すとき、現在を生きるとき、〈私〉はいつも他人の人生を覗いているようで、それを覗くわたしはだからこそ居心地がよかったのかもしれないと、結論付けました。

わたしは本を読むことほどダイレクトに他人の人生を覗く方法を知りません。

けれどそれは感受性が強い人間にとってはまるで自分がその人生を生きているかのように錯覚することもあり、少し危うくそして疲れることです。

それを思えば、本作品はどうでしょう。

主人公さえも自分の人生を直視していないのです。

主人公は自分の人生を抽象的な言葉で希釈して、読者であるわたしはそれを見る。

必然的に薄まっていく一つの人生は棘の先を削がれゆるやかにやさしくなっていきます。

これこそ、わたしが感じた居心地の良さの正体なのでしょう。

おわりを夢見ることの幸福

わたしは、しばしば自分のおわりについて考えることがあります。

実際におわらせようという話ではないですが、おわりについて考える時間は満たされています。

わたしから見た〈私〉は常におわりを見ているように思えました。

おわりに縋って、それがあるから現在を生きているように。

もしそうだとしたら、わたしには〈私〉のその気持ちにいたいほど共感できるのに、と思わずにはいられませんでした。

読了後の居心地のよさは、それにも起因しているのでしょう。

『ウエハースの椅子』はどんな人におすすめ?

始めに書いたように、万人受けするものではありません。

けれど世の中には一定数、わたしや〈私〉のようにおわりを夢見て生きる人たちがいると信じています。

完全な孤独ではなく、だからと言って満たされているわけでもない。

そんな現在を生きる糧がおわりを夢見ること、少なくともわたしはそうなのです。

もちろんそうでない人の方がきっと多いでしょうし、そういった人たちにもおすすめしたいので下に記します。

  • 心地よい冷たさを欲している人
  • 繊細で抽象的な表現が好きな人
  • 自分の恋愛に疑問を持つ人

ぜひ読んでみてください。

おわりに

この記事でわたしはずいぶん抽象的な表現を繰り返してきました。

その理由としては、江國香織が創る細い糸でできたレースのような世界を感じて欲しかったからです。

当たり前なことですが、抽象的な表現では言いたいことが1から10まで、しっかりと伝わることはまずありません。

受け取り方次第になるからです。

江國香織は本作品で、文章、世界、すべてをきれいにレースで覆い隠してしまいます。

気になってめくってしまうことはないけれど、上から覗いてしまいたくなるくらいに。

上手に、とても上手に彼女は創り出した世界を、その手で鎖すのです。

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