新型コロナウイルスが世の中をがらりと変えてしまった2020年、今は亡き志村けんさんの初主演作として製作が予定されていた映画。
その原作が、原田マハさんの著した『キネマの神様』です。
小説と映画とでは趣が異なりますが、志村けんさんが演じる予定だった”ゴウ”役のキャラクターはほとんどそのまま。
ギャンブルと映画をこよなく愛する、破天荒で愚直で結構ナイーブな、なんとも人間味あふれる”ゴウ”。
なんてぴったりなキャスティングなんだろう、と感じたのは私だけではないはずです。
キネマの神様の隣で志村けんさんが、チャーミングに微笑んで手を振ってくれているような、そんなぬくもり溢れる物語。
人と人との深い関わりが難しいときだからこそ、多くの人に読んでほしい一冊です。
著:原田 マハ
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『キネマの神様』の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | キネマの神様 |
著者 | 原田マハ |
出版社 | 文藝春秋 |
出版日 | 2008年12月12日 |
ジャンル | 映画小説 |
本作を著した原田マハさんは、美術にまつわる小説をはじめ、精力的に様々な分野の作品を手がけている人気作家です。
そんな彼女の映画についての小説。
著者に映画のイメージはあまりないかもしれませんが、実は自伝的要素も大きい物語。
原田さんらしい心に染み入るような文章で、映画を愛する父娘に舞い降りた奇跡が綴られています。
2021年には映画版が公開され、山田洋次監督が脚色したシナリオを元に『キネマの神様 ディレクターズ・カット』も執筆・刊行されました。
『キネマの神様』のあらすじ
40歳手前にして、長年働いた大企業を退職し、無職となった主人公。
80歳を目前にしてなお、ギャンブル依存症で借金まみれの父親。
そんな父娘が共通して愛しているのが、映画でした。
これは、映画を愛する人たちに起きた、切なくも温かい奇跡の物語です。
無職の娘とギャンブル依存症の父
円山歩(まるやま・あゆみ)は国内有数のデベロッパーで、シネコンを中心とした文化・娯楽施設を作る担当課長に大抜擢され、17年のキャリアを順調に積んでいました。
無類の映画好きである父、郷直(さとなお、通称”ゴウ”)にとっても、ギャンブル依存症の父を支えてきた母にとっても、自慢の娘です。
しかし、不当にプロジェクトから外された歩は、優秀な後輩である清音(きよね)たちに惜しまれつつも、きっぱりと退職を決意。
歩が辞表を出したのは、くしくも父が丸二日の麻雀を終えて体調不良を訴え入院したその日でした。
父親が多額の借金を抱えて大病を患い入院という状況で、どうしても自身の退職について言い出せない歩は、両親が営むマンション管理の代理を黙って引き受け、悶々とした日々を過ごします。
父再生計画からの逃亡
退院してきた父を再生させようとギャンブルの元金凍結の話をする中で、ついに退職についても打ち明けた歩。
しかし、父から出てきたのは身勝手な言葉ばかり。
怒って両親の部屋を飛び出した歩でしたが、その日から数日、父は行方不明になってしまいます。
父の親友で、名画座「テアトル銀幕」の支配人である寺林新太郎(通称、テラシン)のところにいるのではないかと彼を訪ねた歩が聞き出した潜伏先。
それはテラシンが渋々ながら教えたネットカフェでした。
歩が店に入っていくと、はじめて触るパソコンで無邪気に映画を満喫していた父。
出鼻をくじかれた歩は、映画ブログの存在にはしゃぐ父とともに、そこで数時間を過ごします。
娘の走り書きと父の投稿が引き寄せた縁
一方、歩の再就職はまったくうまくいく気配がありません。
そんなとき、見知らぬ女性から連絡が。
もしや消費者金融?と身構える歩でしたが、話を聞くうちに、なんと映画雑誌製作の超老舗である「映友社」編集長からの連絡だと判明。
しかも編集長曰く、ゴウが映友社のブログに歩の映画評論を投稿したというのです。
評論?と戸惑うばかりの歩でしたが、編集長の更なる話の内容から思い出したのは、父の映画日誌と化していた管理人日誌にこっそり挟んだ、チラシ裏への走り書きのこと。
その走り書きを目ざとく見つけた父が、映友社のブログに気まぐれに投稿したに違いないと悟った歩は、咄嗟に話を合わせます。
そんな歩に編集長が続けた言葉、それは「うちの雑誌で、映画評論を書いてみませんか?」という思ってもみないものでした。
映画を愛する人たちが起こしていく奇跡
「映友社」に入社した歩は、個性的な面々と次々に出会うことになります。
元祖ワーキング・マザーとして映画業界を牽引し、様々な障害を乗り越えながら老舗企業を守り続けてきた社長兼編集長の高峰さん。
アニメを偏愛する編集者の新村に、西部劇オタクの田辺さん、経理一筋の毒舌家である江藤さん。
そして、ゴウが歩の文章を投稿した映友のブログを新村とともに運営している編集長の息子、引きこもりの興太。
歩の文章にはじめに興味をもったのは興太であるということでしたが、新村とともに興太に会いに行った歩は、本当に彼が興味を持ったのはゴウの文章であったことを知ります。
それは、何年も何本もの映画を見て魂を震わせてきた者にしか書けない、愚直なまでに映画愛に溢れた文章。
ゴウはその文章で映友の連載ブログ「キネマの神様」を綴っていくことになります。
人気を博したゴウの文章は英語への翻訳も決まり、すると「ローズ・バッド」なる好敵手が現れて…。
ゴウが書く「キネマの神様」はどんどん転がり、絆を結び、そして温かな奇跡を起こしていくことになります。
『キネマの神様』を読んだ感想
本作について著者は、「限りなく私小説に近い」と言っています。
著者も学生時代に名画座でもぎり嬢をしていたそうで、そのアルバイトを見つけてきて大いばりですすめた父親は、”ゴウ”にそっくりであるとのこと。
この物語の中で語られている映画への愛は、まさに著者である原田マハさん自身の映画への想いなのでしょう。
あふれ出る映画への愛情
ゴウの映画日誌と化していたマンションの管理人日誌。
その数は17年分、200冊以上に及んでいます。
そこにあったのは、批評とも感想ともつかない、映画好きな老人の独り言のようなもの。
けれどページを捲る手が止められず、夢中になって読んでしまうもの。
映画に対する深い愛情が溢れだしているような、淀川長治さんの名調子にも似た、映画という長い付き合いの友人に語りかけるような文章でした。
父の言葉たちに誘われるかのように娘が書いた文章もまた、それはそれは映画への愛に溢れたもの。
そしてこの父娘だけでなく、本作に登場する人物たちからは、映画への愛がほとばしっています。
本作を読んだ後は、名画座で映画をみたいという衝動にかられること必至です。
テラシンが運営する「テアトル銀幕」は、おそらく現実世界での飯田橋「ギンレイホール」のことでしょう。
そう気づいて上映スケジュールをチェックしてしまう読者は、私だけではないはずです。
映像が見え、匂い立ち、音楽が聞こえる
本作の中に、『ニュー・シネマ・パラダイス』のオープニングの描写がなされている箇所があります。
その描写はとても豊かで、鮮やか。
エンニオ・モリコーネのあの郷愁に満ちた美しい音楽が本当に聞こえてくるかのような、シチリアの潮風のにおいを本当に感じられるかのような、凪いだ海と翻るカーテンのコントラストがまぶたの裏に浮かぶような。
そんな描写なのです。
ゴウが映友の連載ブログに綴っていく文章もしかり。
映画『フィールド・オブ・ドリームス』についての投稿を読めば、オレンジの夕暮れと緑の野原、草と土のにおい、そして父と息子のキャッチボールの音、そういったものが立ち現れてくるかのようです。
なおかつ、その臨場感は映画のシーンだけでもたらされるのではありません。
例えば、テラシンが経営する小さな名画座の心地よさ。
満州の掘っ立て小屋のような真っ暗な劇場でスクリーンを食い入るように見つめる幼少期のゴウと初恋の女の子の様子。
ラストに待つ切なさや温かさまでもが、まるで触れられる何かであるようにくっきりと感じられる、そんな文章がこの小説を彩っています。
ゴウというキャラクターの魅力
歩の父親であるゴウは、一言でいえばダメ親父です。
ゴウのギャンブル好きに母は結婚直後から泣かされ続け、夜逃げも自己破産もひととおり経験。
79歳になっても、消費者金融のみならず、知人・友人からも借金をして放置しているというダメっぷりです。
もう一つの生きがいである映画にしても、好き放題何本も見続けてきたのですから、その金額たるやかなりのもの。
夜が更けてもゴウの姿が見えないときは、だいたい麻雀かオールナイトを満喫していると相場が決まっています。
自分のやりたいことにまっしぐらで周囲を顧みず、思ったことをすぐ口に出してしまうので、まわりの人を振り回してばかりです。
でも、「やってしまった」と思ったあとは(一瞬の場合もあるにせよ)深く反省。
傷つきやすい一面も持っています。
そして、感じたとおりに行動し、笑い、怒り、泣きます。
そんなわけで、どうしても憎めない、情に厚く人間くさい、愛すべきオヤジなのです。
私の脳内ではもはや、その役を演じる予定だった志村けんさんに変換されてしまっているゴウは、あの柔和ないたずらっぽい笑顔で周りを巻き込みながら、この物語をぐいぐい引っ張っていきます。
愛しい感動をくれる物語
本作の冒頭で描かれている父娘の状況は、どう考えてもかなりひどいものです。
しかし、いろいろな縁や絆がつながっていく物語のラストは、とても前向きで温かいハッピーエンド。
宣伝文句にあるとおり、「感動のラスト」が待つ「奇跡の物語」となっています。
しかし、その部分だけ見ると、「そんなにうまくいくわけがない」と反発心を覚える方もいるのではないでしょうか。
といいますか、実は私自身がそういった思いを抱いた読書経験を何度かしているのです。
ゆえに、「絶対泣ける!」「感動する!」などの惹句で誘ってくる小説には苦手意識があり、どうしても構えてしまうところがありました。
著者と映画への興味から手に取った本作でしたが、正直なところ上記のような懸念がなかったわけではありません。
しかし結果として、本作がもたらしてくれる感動は、まったく不自然でも押しつけがましくもなく、心の真ん中にすっと深くしみ込んでくるようなものでした。
小さな奇跡がいくつも重なってできている物語ではありますが、ああ、これだけ映画への愛情に溢れていればそうなってもおかしくないよな、と思えるのです。
個々の人物がとても魅力的で、それぞれ必死に生きている姿がみえるので、何とかうまくいってほしいと祈る気持ちにもなってきます。
また、ラストはすべてが解決したわけでも、つらい想いがないわけでもありません。
心に灯りがともるようなじんわり温かい気持ちになり、ああこの物語に出会ってよかったなと思える、愛しい感動が、そこにはあります。
『キネマの神様』はどんな人におすすめ?
『キネマの神様』は、小説と映画を愛するすべての人に読んでほしい作品です。
特に以下のような方には全力でおすすめします。
- 映画と映画館(特に名画と名画座)が好き
- 奇跡と感動の物語が読みたい
- 温かい気持ちになれる読書がしたい
本作は、人間味あふれるキャラクターたちが織りなす、とても豊かな物語。
閉塞感を感じた時や、心に隙間風が吹くようなときにはきっと、寒い日のココアのように温かく心に染みわたることでしょう。
おわりに|キネマの神様に祈るような、愛しい読書体験を
「キネマの神様」は、娯楽の神殿たる映画館の結界に潜む神様。
劇場のどこかにいて、映画を観て人間が喜ぶのを何より楽しんでいます。
この物語の中で「キネマの神様」は、映画への愛に溢れた人々が紡ぐ奇跡を、愛しく見守ってくれているかのよう。
そしていつの間にか私自身が、彼らの想いがどうか実を結びますようにと、「キネマの神様」に祈るように文字を追っていて…。
何かを好きになって、その「好き」で人と人とがつながって、さらに大きな「愛」になっていく、そういう営みってすごくいいな。
そう思える物語。
もしよかったらあなたも、この物語に潜む「キネマの神様」に会いに行ってみてください。
著:原田 マハ
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