さざんか、という花をご存じですか?
初冬に咲く花で、漢字では山茶花と書きます。
花言葉はその花の色によって変わるものの、全体では『困難に打ち克つ』『理想の恋』などがあり、厳しい寒さのなか咲く花らしい言葉と言えるでしょう。
そして赤いさざんかには、『あなたがもっとも美しい』という言葉が添えられています。
ところで本作の主人公が住むアパートの部屋のすぐそこにはさざんかの木がありました。
グロテスクなほど赤いさざんかの花は、心のなかに積み上げられた呪いを可視化するように、主人公をたびたび苦しめます。
主人公は呪いから、赤いさざんかから、解き放たれることがあるのでしょうか。
著:彩瀬 まる
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『あのひとは蜘蛛を潰せない』の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | あのひとは蜘蛛を潰せない |
著者 | 彩瀬まる |
出版社 | 新潮社 |
出版日 | 2015年8月28日 |
ジャンル | 繊細な人に向けた恋愛小説 |
幼いころから母親に刷り込まれてきた「ちゃんとしなさい」「みっともない」に縛られる主人公は、年下の男子学生に迫られ付き合い始めます。
しかしあんなに邪険に思っていた「ちゃんとしなさい」「みっともない」をいつしか周りに要求している自分がいることに気づきます。
そんな主人公は母親や兄、兄嫁や恋人との居心地のいい距離感を掴むことを覚えていくのでした。
『あのひとは蜘蛛を潰せない』のあらすじ
本作は梨枝(りえ)という名の28歳の女性ドラッグストア店長が主人公です。
梨枝は三十路手前でありながら過保護な母親のもと実家暮らしをしている現実に辟易していました。
娘の世話を焼きたがり、「ちゃんとしなさい」「みっともない」が口癖の母親。
過去にあったあることにより、そんな母親に負い目のようなものを感じている娘。
母娘ながらお互いの距離が近すぎて適切な接し方がわからないふたりは、母親そして娘以外の相手と接するうちに変わっていきます。
“他人と深く関わる”こと
梨枝は新しくドラッグストアでバイトとして働くことになった二十歳の男子学生、三葉(みつば)とお付き合いを始めることとなります。
間もなく念願の一人暮らしを始めた梨枝のアパートには、頻繁に三葉が居座るようになりました。
梨枝はその状況を心地良いものとして捉えていましたが、三葉の家庭の事情を知ったとき、彼女は”他人と深く関わる”ということを”重たい”と感じます。
他人の重たいものを一緒に背負うということは、他人との距離感が掴めず自分のことだけで手一杯な梨枝にはことさら難しく煩わしいことだったのです。
しかしそれが梨枝を成長させるきっかけの大きな出来事でした。
“他人と隔絶する”こと
三葉と深く関わる一方で、過干渉な母親との関係は隔絶していきました。
実家に顔を出しても、母親は以前のようにしつこく口出しなどをしません。
息子、息子の嫁、生まれたばかりの孫……その3人とい同居することで、母親もまた変わらざるを得なかったのです。
当初は荒れていく母親の自室や会話のない食卓に驚いていた梨枝でした。
それでも梨枝には梨枝の、実家には実家の時間が流れ、梨枝も母親も自分とお互いを見つめ直すことができました。
「母親とこんな距離感で話すことができるなんて」と梨枝は思います。
居心地のいい距離感を認めること
梨枝とその母親はもちろん、三葉や三葉の家族、ドラッグストの常連である女性……通称バファリン女、それぞれが他人との距離感で悩んでいました。
三葉には姉がいます。
大好きな姉のバレエダンサーとしての活躍を利用し搾取する両親を憎んでいました。
バファリン女は頻繁にドラッグストアに来店し、必ずバファリンを購入していく、サキという女性です。
頭痛に悩まされるから頭痛薬を服用し、それゆえにまた頭痛が続くという悪循環に陥ってる彼女は誰の言葉にも耳を貸しません。
問題だった母親との距離感を掴めた梨枝は、恋人の三葉や客でご近所さんのサキともいい塩梅に距離感をとろうと、今まで避けてきたいろんなものに自らアタックしていきます。
『自分で決めること』
それができるようになった梨枝はこれからも自分と同じような繊細な人々を救っていくのでしょう。
『あのひとは蜘蛛を潰せない』を読んだ感想
繊細ゆえに自分を守ることに必死で、他人とのちょうど良い距離感がわからなかった梨枝率いる登場人物たち。
1年と少しをかけて彼女たちは成長していきました。
小さな町で、季節が巡るたびに、自身たちも変わっていきます。
殻にこもって自分を守るだけでは前には進めない、そう教えてくれる作品でした。
タイトルに込められた想い
物語の始めから終わりまで梨枝の心にはひとりの頼りない柳原という男性がいました。
蜘蛛を潰すことができない優しさと臆病さを持ちながら、妻以外の女性と駆け落ちまがいのことをして妻に迷惑をかけ続ける、そんな男性です。
物語の始めでは梨枝が店長を務めるドラッグストアで働いていましたが、ほどなくしてとある女性とともに失踪しました。
梨枝はことあるごとに女性と去っていった柳原のことを思い出して、どうしているだろう、無事であるように、と祈るように思います。
柳原に限らず、三葉も兄嫁も、蜘蛛を外に逃がす人です。
蜘蛛を潰せない、潰さないということが本作のなかでどのように扱われているのか、そこに着目して読んでみても良いでしょう。
光る表現
彩瀬まる著作は本作が初めてでした。
読んでいる最中、敷き詰められた読みやすい文章のなかに、きらりと光る表現がいくつもあることに気づきました。
例えば、強く賢いと思っていた三葉が実は様々なものを抱えていたことに気づいた梨枝は、
おそらく、この子の目を光らせているのは、なんらかの飢えに似たものだった。
欠落は光る。
割れたグラスの断面が光るのとおんなじだ。
と表現します。
梨枝が好きだった三葉が発する『ひやり』とした雰囲気は、彼の家庭内の重たい事情からきているものだということ。
彼女はそれを欠落と称し、さらにはガラスの断面が光っていることと同じだと言うのです。
ここまで美しい表現が世の中にあるでしょうか。
私は彩瀬まるという作家の表現力を、この一冊で素晴らしいものだと確信しました。
親からの呪い、または祈り
本作の梨枝とその母親のような母娘は世の中にたくさんいることと思います。
娘を可愛がるあまりいくつになっても過干渉な母親。
そんな母親がしてくれることに感謝しながらも時折辟易してしまう娘。
親がよかれと思って行ってきた行動は愛に違いありませんが、子どもにとっては時に呪縛となり得るのです。
そんな題材ですから、もしかしたら本作に救われる読者も多いかもしれませんね。
『あのひとは蜘蛛を潰せない』はどんな人におすすめ?
題材がわかりやすく、心がすっと軽くなる作品ですので、万人受けの作品と言っても過言ではないでしょう。
この作品が心に響くのは、なにも悩める母娘だけではないと思います。
例えば、
- 他人との距離感に悩む人
- 心が晴れやかになる本が読みたい人
- 繊細で生きづらい人
などにもおすすめできる作品となっています。
おわりに|自分で『考え』『決める』ことの大切さ、難しさ……。
お互いのことを思いやるあまりすれ違う……というのは意外とよくある話かもしれません。
だからこそこの物語は多くの人の心に響くと思います。
梨枝のようになんとなく日々を過ごしつつも隠れた生きづらさを感じている繊細な人々や、兄嫁のように誰にも頼れずネットに居場所を見出す人々……。
みんなどこか、傍から見れば『かわいそうな人』の顔を持っているものでしょう。
自分の『かわいそうな人』の面を自らどう思うか、他人の『かわいそうな人』の面をどう見るか、それによってきっと世界の見方も変わってくるはずです。
自分で『考え』『決める』。
そのことに意味があるのだと、この物語は教えてくれました。
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