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『シュガータイム』感想|砂糖衣に包まれた、透明な愛おしい時間

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「春の訪れとともにはじまり、秋の淡い陽射しのなかで終わった、私たちのシュガータイム」

漠然とした何かが、心の中にぽっかりと穴をあけてしまったとき、それを埋めるものは一体何でしょうか。

明確な原因そのものが解決されない限りそれは永遠に埋まらないのかもしれません。

けれど、そこに何かを詰め込んで救われるという行為は、日常のささやかな風景に潜んでいます。

凍える手を火にかざして温めるように、パウンドケーキを焼くオーブンから漏れる光で、主人公は冷えた心を温めるのです。

著:小川 洋子
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『シュガータイム』の概要

出典:Amazon公式サイト

タイトルシュガータイム
著者小川洋子
出版社中央公論社
出版日1994年4月10日
ジャンル純文学系青春小説

物語の要素の中に「過食」がありながら、その描写は決して下品なものではありません。

食べ物は瑞々しく、美しく描写され、淡々とした全体の流れの中に印象的な彩りを与えています。

また、食べ物を咀嚼するときの独特な湿っぽさは息を潜めて、何かを渇望するような乾いた食欲がそこにはあります。

『シュガータイム』のあらすじ

ふと気が付くと、凄まじい食欲に見舞われていた主人公。

淡々と流れていく青春の中にある、取り返しのつかない出来事が、彼女の心を蝕みます。

不可逆的な時間軸に翻弄されながら、救われるために主人公は懸命に食べるのです。

美しい文章と慈悲深さ

小川洋子さんの小説には、小難しい言い回しや、皮肉めいた表現はあまり登場しません。

よく舗装された道のように美しい言葉が配置されています。

けれど、「理路整然とした文章」という言い回しは少し冷淡で、適切ではないかもしれません。

無機質な棚の中に並んだ事務的な書類群というような印象ではなく、小川さんの文章の中には確かな暖かさがあります。

人間への根本的な愛情が感じられて、そこには「無機質」からは程遠い、慈悲深さが感じられるのです。

透明な青春

「青春」と聞くと、元気はつらつとした爽やかさを思い浮かべるかもしれませんが、この本に描かれている青春はそれとは少し違っています。

目が覚めるような冒険活劇も、愛憎渦巻くドロドロとした人間関係も、仲間と共に絆を確かめ合う熱い友情もありません。

手に汗を握ることなく、私たちは、食欲異常に見舞われた主人公の姿を窓越しに見つめるような静かさで傍観します。

一見退屈なように思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

主人公が懸命に食べる姿はどことなく儀式めいていて、その周りには侵してはいけない静けさが漂い、窓の隙間から、主人公の寂寥が入り込んでくる。

人がどう頑張って逃れられない時の流れをもどかしく感じながら、淡々とした「シュガータイム」の終わりを見届ける切なさは、どこか懐かしく、苦しく思えます。

誰もが持つシュガータイムを彩る、瑞々しい食べ物たち

時間は変わらず流れていくのに、どこか胸の中にしこりがある。

何もかもが消化不良で、心の奥底で安らぎを求めている。

取り返しのつかないことが、あたかもそれが当たり前かのように目の前で起きているけれど、時間はとまってくれない。

そんな時間が、人生の中には必ずあるのではないでしょうか。

そして、それを癒し安らぎを得ようとする「何か」を無我夢中で求める時間だって、きっとあるのです。

その「何か」が、主人公にとっては「食べ物」あるいは「食べる事」でした。

彼女が食べるものは瑞々しく、そして美しく、時にグロテスクに描かれます。

  • 主人公行きつけのサンシャイン
  • マーケットの格調高い光に照らされたトマトの果肉
  • 静まり返った真夜中に焼くパウンドケーキ
  • 懐に忍ばせたミルクキャンディ
  • ユダヤ人の油で作った石鹸のような見た目のアイスクリーム…。

描かれる食べ物に私たちが惹かれること、それは、主人公の渇望、そして切実さを表象するのではないでしょうか。

『シュガータイム』を読んだ感想

あらがえない時間の中で、いつの間にか始まって、静かに終わりを告げる「シュガータイム」。

それは時に理不尽だと感じる事でしょう。

けれど、私はその寂しさにどうしても惹かれてしまいます。

過ぎ去っていく愛情

記事の中で、不可逆の出来事や戻る事のない時間について何度か触れていますが、主人公が翻弄されるものの中に、薄れゆく愛情の不可逆性というものが挙げられるように思います。

燃えるような想いも、相手を憎むような愛情の裏返しもなく、消えていく愛をなすすべもなく見守るような姿が印象的でした。

愛の衰退を理解するには十分なほどの出来事が、その不可逆性を一層明らかにしており、

もう戻らないと知りながら、どこかで愛が不意にぶり返すことを期待して、時間が流れていくことに複雑な想いを抱きました。

終息の寂しさ

何かに翻弄される時間も、それが終わる瞬間はどこか寂しい。

愛情に翻弄された時間は、それが薄れていくにしても少し苦いような甘さで、それが口の中からスッと引いていくのです。

物語の最後に主人公の友人が、「わたしたちのシュガータイムにも、終わりがあるっていうことね」という場面があります。

いざ言葉にしてそういわれると、そこには明確な終わりが出来上がってしまいます。時間軸の上に、赤いペンでしっかりと点を打たれてしまうような感じです。

けれど、そこできちんと終わらせてくれたことで、主人公の、そして読者のシュガータイムはきちんと葬られたのでしょう。

「ああ、やっと終わった」と「ああ、終わってしまった」が胸の中に同居している時は、寂しいけれど、じんわりと暖かい心地がしました。

主人公と一緒に

私は時折この本を読み返します。

受験の終わりであったり、卒業式の後であったり、愛するペットの死後であったり。

思い返せば、様々な事が合ったけれどそれでも愛おしかった日々の終わりに、この本を読んでいるような気がします。

過去にしがみ付いたり、後ろを見続けたまま進んでいく時間に流されていくのも良いかもしれませんが、やはりどこかに節目は必要です。

過去を忘れ去るのではありません。ただ、愛しい日々を咀嚼して、血肉にすることがいずれは必要になるように思います。

そのために、愛しい「シュガータイム」を終わらせるために、私はこの本を読み返すのかもしれません。

『シュガータイム』はどんな人におすすめ?

私は上記のように節目ごとにこの本を読むので、大事な日々を大事なまま終わらせたいという方にもおすすめです。

また、この本は小川洋子さんの初の長編作品で、小川さんの有名な本を読んだことがあるという方が読むと、また新しい発見があるかもしれません。

  • 大事な日々をきちんと終わらせたい方
  • 小川洋子さんの本をもっともっと楽しみたい方
  • 綺麗な文章or食べ物の描写が好きな方

におすすめです!

おわりに|愛おしい日々を抱きながら生きていく

辛かった過去と決別することは難しいとよく言いますが、安堵感を孕んだ、それでもどこか寂しいような過去と決別することもまた難しいと感じています。

ふとした瞬間に、後ろを振り返る自分がいて、そんな時の私は過去を愛しているのではなく不可逆性を心底疎ましく思っているのでしょう。

そんな私に過去を愛することを教えてくれたのはこの本だと思います。

何かをきちんと終わらせてくれる存在。それは、なかなかに得難いもののような気がします。

著:小川 洋子
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