学生のころから北方の自然に憧れを抱き、「いつの日かそこで暮らしてゆくのだ」という思いを持っていたという星野道夫。
彼はアラスカの大自然やそこに生きる動物、自然と向き合い生活する人々を撮る写真家として有名ですが、彼の書く文章もまた、多くの人の心をつかみます。
この『旅をする木』は、著者が1978年にアラスカに降り立ってから15年経った1993年からの数年間、定住、結婚、長男の誕生など様々な変化があった時期に書かれたエッセイ集です。
文藝春秋
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『旅をする木』の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | 旅をする木 |
著者 | 星野道夫 |
出版社 | 文藝春秋 |
出版日 | 1999年3月10日 |
ジャンル | エッセイ |
この本は著者がアラスカの地に降り立ってから15年経過後に書かれたエッセイです。
でも、内容は著者が10代の頃からのことも書かれていて、アラスカの地へと旅立つきっかけとなった友人の死についても触れられています。
アラスカとの出会いにも触れられているので、星野道夫の作品を初めて読むという方にもおすすめの一冊と言えるでしょう。
『旅をする木』のあらすじ
なぜ、著者はアラスカに行ったのでしょう?
そこでどのような経験をし、何を見たり、感じたりしたのでしょうか?
アラスカからの貴重な便りを楽しんでください。
アラスカとの邂逅
著者の憧れの対象は、初めは北海道でした。
しかし、しだいにもっと遠い、極北の地アラスカへと魅かれていきます。
著者が若き日に古本屋で見つけた一冊の写真集。
そこには、アラスカ・シシュマレフ村を空から撮った一枚の写真が載っていました。
たまらなく魅かれ、
「なんでもしますので、誰かぼくを世話してくれる人はいないでしょうか?」
と村長に宛てて手紙を出し、驚くことに、「いつでも来なさい」という返事が来るのです。
そして、念願かなってシシュマレフ村へと旅立ちます。この時、著者は19歳。
3か月間、アラスカの地で、初めてのクマを見たり、アザラシ漁、トナカイ狩り、白夜、さまざまな村人たちとの出会いを経験します。
その後、写真という仕事を選び、本格的にアラスカに渡り、素晴らしい写真をたくさん撮ることになるのです。
雄大な自然と、どこか神々しい動物たち
アラスカの季節ごとの風景の美しい描写は、この本のおすすめポイントの一つです。
春のワスレナグサ、短い極北の夏に出会う数千頭のカリブーの群れ、半日で紅葉の色が深まる秋の山、そして、冬になればマイナス50度になり、すべてが凍てついた世界が広がります。
幻想的なオーロラも有名ですね。
この本に写真は載っていないのですが、著者のつむぐ言葉の一つ一つに想像力をかき立てられ、見たこともないマッキンレー山や、そこに吹く風、ルース氷河の身を切るような寒さまで感じられるような気がしてきます。
また、この本にはたくさんの動物たちが登場します。
- 辺りを氷河と原生林に覆われる海で、潮を吹きあげながら進むザトウクジラの群れ
- 白夜の中、数千頭のカリブーが旅をする風景
- 柔らかな風が吹きはじめる4月、冬ごもりから目を覚まし始めるクマ
- 生き物の気配などない高山の氷河地帯に現れるホオジロ
太古の昔のまま変わらない野生動物の姿は神々しく、崇高な印象を受けます。
人々との出会い
著者がエスキモーやインディアンなど原住民の人々、多くは古老たちから、昔の話を聞くことを何よりも大切にしていたことがよくわかります。
そして、それをとても幸せなことだと思っていることも。
極北の夏の夜に、アサバスカン・インディアンの酋長の話を聞く場面があります。
「人々は生き延びてゆくために、いつも動物たちを見つめて暮らしてきた。どの動物を狩って生きてきたかによって、人間も違ってきてしまった。」
狩る動物、つまりは食べる動物とも言い換えられますが、それによって、動き方や物腰がその動物のように、力強くなったり、静かになったりするというのです。
たとえば、ビーバーの民と言われるチャルキーツィックの村の人々が、そっと静かな話し方をするというように・・・。
このような逸話を、めぐり合う様々な人々から聞く場面がたくさん描かれています。
著者が、目にしているアラスカの風景そのままだけでなく、歴史や、人々の思いなど、その背後にあるものまで知りたいと思っていたのがよく分かります。
『旅をする木』を読んだ感想
著者のことを初めて知ったのは、亡くなった後のことでした。
ヒグマに襲われて亡くなってしまうという衝撃的な最期は、あまりに有名です。
著者の写真は、動物のほんの一瞬の表情を捉えたものや、極北の自然の美しさをありのままに伝えるもの、先住民族の人々の素の表情を収めたものなど、とても素晴らしいものです。
そして、エッセイなどの文章では、それらの美しさと同時に、貴重な経験や、新鮮な知見、素晴らしい思想などを柔らかな言葉でスッと心に染み込むように伝えてくれます。
亡くなってから25年経った今でも、多くの人が著者の言葉に魅了されている所以ですね。
幸せを書く
アラスカのことを、著者は本当に愛していたのだなぁと思います。
どの章を読んでも、アラスカへの愛に溢れています。時に、アラスカ以外の土地にいる時に書かれた文章の中でさえ、アラスカに想いを馳せているのです。
土地に対する愛着というものは、普通、自分が生まれ育った場所に抱くことが多いと思うのですが、著者はそうではありませんでした。
これこそ、まさに「運命のめぐり合い」と呼べるのかもしれません。
アラスカに暮らし、厳しくも美しい自然を目の当たりにすることができた幸せ。
様々な人々に出会い、昔の話を聞き、満ち足りた時間を過ごせた幸運。
著者からの幸せの便りを読むことで、私たちも満ち足りた気持ちになれるのです。
遠くの自然を思うこと
著者の友人が東京から訪ねてきて、一緒にザトウクジラの群れに出会う場面があります。
「小さな船で、潮を吹きあげながら進むクジラのあとをゆっくりと追っていた。
クジラの息が顔にかかってくるような近さで、それは圧倒的な風景だった。
(中略)
彼女は船べりにもたれ、心地よい風に吹かれながら、力強く進むクジラの群れをじっと見つめていた。
その時である。突然、一頭のクジラが目の前の海面から飛び上がったのだ。
巨体は空へ飛び立つように宙へ舞い上がり、一瞬止まったかと思うと、
そのままゆっくりと落下しながら海を爆発させていった。」
ずっと後になってから、その友人が旅をして良かった理由として語ったのはこんな言葉でした。
「自分が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間にもしかするとアラスカの海でクジラが飛び上っているかもしれない、それを知ったこと」。
私たちが日々の生活を送っている同じ時に、遠いアラスカの自然がそこに変わらずあるということを意識できるのは、こんなにも心豊かな気持ちにさせてくれるものなのですね。
悠久の時
まず、多くの人にとっては一生、足を踏み入れることはないであろうアラスカの地ですが、著者のエッセイを読むことで、そこに想いを馳せることができます。
そこに広がる太古のままの雄大な景色を思うことで感じることができる悠久な時間、人間の日々の営みをしばし忘れさせるような、もう一つの大いなる時の流れ。
それを意識することがもたらす、「心の平穏」というのでしょうか、波立った心が凪いで行くような効果は、他ではなかなか得られないものだと思います。
『旅をする木』はどんな人におすすめ?
こんな方におすすめしたい『旅をする木』。
著者がアラスカから送ってくれた、とても貴重な手紙のような本書。
どなたでも読みやすい一冊だと思います。
没後25年という時が経った今読んでも、まったく色あせることがない言葉たち。
優しく温かい筆致で書かれた言葉の一つ一つが、今なお私たちの心を強く惹きつけます。
おわりに
「アラスカはいつも発見され、そして忘れられる」
そんな諺がアラスカにはあるそうです。
油田開発で発見されるフェーズに入ってから数十年、開発が進むアラスカはどうなっているのでしょうか?
この本の中で著者は言っています。
「千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく責任があるのではないか。」
遠い遠いアラスカの自然を守ること、それはもしかすると、人類の心のよりどころを守ることにもつながるのかもしれません。
文藝春秋
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