なつかしい思い出の場所や人物、というものはだいたいの人にあることと思います。
幼少期を過ごした場所の匂いやお世話になった人の手料理、すべていまの自分を形づくっている”思い出”と言っても過言ではないでしょう。
その”思い出”が実家なのか家族なのか、つまり血が繋がっているかどうかは断じて重要ではありません。
もちろん家族の人もいるでしょうが、それは時に友人であったりそういった施設であったりと様々です。
ここで紹介する作品の著者、須賀敦子にとってのそれは、イタリアやフランスといった異国なのでした。
著:須賀 敦子
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『ヴェネツィアの宿』の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | ヴェネツィアの宿 |
著者 | 須賀敦子 |
出版社 | 文藝春秋 |
出版日 | 1998年8月5日 |
ジャンル | 短編集風エッセイ集 |
全12編からなるエッセイ集です。
著者の須賀敦子の人生が淡々と、しかし美しくあたたかく綴られています。
1998年にこの世を去った彼女の”思い出”を、垣間見ることができる本となっていました。
『ヴェネツィアの宿』のあらすじ
著者である須賀敦子が過ごした少女時代、成人してからのことが記された物語ふうのエッセイ集です。
平和な一家に育ったけれど父親には複雑な想いを抱いていた彼女。
留学した先で待っていた見知らぬ土地での心あたたまる出来事。
それらがまるで宝箱に仕舞われる宝石たちのように、一冊の本となっています。
彼女が過ごした人生のほんの一部を、見ていきましょう。
著者の人生は”思い出”まみれ
自伝的に書かれたこのエッセイ集ですが、単に日記のように記したものではありません。
著者はたくさんの伝えたいことを持っていたように感じました。
それは主に”思い出”がいまの自分をつくって、そのうちに過去がなつかしくなって、すべてに感謝をするようになることでした。
いまの自分は最高であり、そのいまの自分を形づくるためには過去の出来事すべてがないといけなかった……。
2編目『夏のおわり』で伯母が見せた常に凛としていた姿勢のこと、4編目『カラが咲く庭』で少しの時間をいっしょに過ごしたマダムの家のこと。
6月のフランスでカテドラルを目指して巡礼の旅に出かけた6編目『大聖堂まで』では、けっきょく苦労して辿り着いたシャルトル大聖堂に入れなかったこと。
修道院でのつらいことも父親の浮気のことも、すべてが”本作品を書いた須賀敦子”をつくり上げていました。
胸に染みる12編の”思い出”
合計12編、あくまでエッセイ集なのでひとつひとつは短いですが、どれも中身はそれなりにじっとりと重く、それでいてあたたかさが胸にじんわり染みわたるものばかりです。
著者の人生を客観的に書いただけなのに、なぜこんなになつかしいと思えるのか。
その秘密はきっと表現力や言葉選びのセンスにあると思うのです。
詳しくはあとで述べますが、それは間違いなく本作に書かれた過去が今の彼女に影響してのことでした。
白い方丈
個人的にとても心に残ったのは8編目の『白い方丈』です。
ミラノに住む著者のもとへ竹野という女性から手紙が届いたことが始まりでした。
知り合いである寺の老師がイタリアへ禅の話をしに行くおり、自分も付き添いとして同行するのだと、竹野婦人は言いました。
しかしその講演を企画したタリア人の女性の評判は良くないもので、著者はそのことをどう伝えるか考えあぐねます。
著者の目に映る竹野婦人はというと、始終少女のようにはしゃぎ浮ついた様子で、企画の主催者がどんな人物なのかなどは気にも留めていないようでした。
なにかの劇のヒロインになりきったような振る舞い、そしてそれを演じきる竹野婦人という女性の強さ。
私にはとても美しく見えました。
『ヴェネツィアの宿』を読んだ感想
ひとりの女性の、波乱万丈とまでは言えないけれど少し変わった人生です。
日本とイタリア、フランス……いろんな文化のなかを駆け抜けた、素晴らしい人生を見せてもらいました。
読んで得することがたくさんある、そんな本です。
須賀敦子、という人
著者はイタリア文学者で、たくさんの本をイタリア語に訳してきました。
20代後半からイタリアに住み始め、夫と結婚し、その夫とも父親とも死に別れ、その後作家デビューを果たしています。
どういった人物であったかはいまのところ深くは知らないのですが、本作にある”思い出”と”思い出”のあいだがさらに気になるような、不思議と魅力的な人生を送っていることが伺えます。
遅くに書かれたこのエッセイは、なぜ”そのとき”でなければならなかったのでしょうか……。
物語ふうのエッセイ
本作をエッセイと知らず、または気づかずに読んでしまう人がいるくらい、このエッセイ集はエッセイらしくありません。
美しい短編集、まさにそういった雰囲気なのです。
彼女が経験したそのものがそもそも物語チックなこともありますが、そのことを引いてもエッセイらしくないことが特徴です。
言葉選びから表現の仕方、すべてが幻想的で地に足のつかない雰囲気をまとっていました。
熟れた表現の力
作家デビューが早いわけではなかった著者の表現力は、それまでの経験を余すことなく利用しているように感じました。
その過去を過ごしたその年齢だからこそ書けた作品であると、断言できると思います。
それほどまでに本作での著者の表現力は素晴らしいものでした。
自分が経験したことを小説のように書けてしまう、それはある種の特技ではないでしょうか。
『ヴェネツィアの宿』はどんな人におすすめ?
美しい表現力、自分の過去を客観視できる強さ、”思い出”そのもの……。
本作または著者の良さや特徴を挙げるとするならばこのようなものです。
自分の人生においてたいへんなことに見舞われている最中の人にもきっと、著者の想いは届くでしょう。
たくさんの人におすすめしたい作品となっていますが、そのなかでも特に
- いま壁にぶつかっている人
- 普通のエッセイに飽きた人
- 熟練された文章が読みたい人
などにおすすめしたいと思います。
おわりに|”思い出”がつくるものは、いまを”自分”として生きる力
異国での出会いや別れ、それを過去と現在を行き来しながら思い出しなつかしむ構成は素晴らしいものです。
それをなんでもないことのように書き上げてしまう須賀敦子という人物はやはり頭がきれる人物なのでしょう。
しかもエッセイと名乗っておきながら、エレガントな小説のような雰囲気をまとわせてしまうのですから……。
自分の思い出を記しながら、きちんと読者に伝えることも持つ須賀敦子。
それをしっかりと受け取るには、こちらもそれ相応の歳の取り方をしなければいけないのでしょうね。
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