日々を生活していく中で、「ああ、疲れたなあ」って思うとき、ありませんか?
たとえば毎朝会社へ行く満員電車の中や、教室でぼんやりと授業を聞いているとき。
はたまた食器をキッチンで洗っているときや、暖かい湯船に浸かっているときなど。
そんなときにぜひ読んで欲しいのが今回紹介する『車輪の下』。
神童と呼ばれ、周囲の人々の期待に応えようとした青年の一生を描いた物語で、自分の生き方と向き合うきっかけを与えてくれます。
ひたすらに頑張り続けた主人公の葛藤や苦しみが繊細な文章で描かれており、将来について一度でも悩んだことがある人はとても心揺さぶられる作品です。
著:ヘルマン・ヘッセ, 翻訳:高橋 健二
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『車輪の下』の概要
出典:Amazon公式サイト
タイトル | 車輪の下 |
著者 | ヘルマン・ヘッセ |
出版社 | 新潮文庫 |
出版日 | 1951年12月4日 |
ジャンル | 青春小説 |
「少年の日の思い出」で有名な、ドイツの代表的作家ヘルマン・ヘッセの自伝小説です。
「車輪の下」は神学校に通う少年が自分の生き方に疑問を持ち、敷かれたレールから外れて生きた結果挫折し死んでしまう物語ですが、これは作者の神学校から脱走し、自殺未遂をしたことを原体験として書かれました。
自伝小説なだけに心理描写やそれぞれの人間の描写がとてもリアルで、読んでいると主人公の気持ちが雪崩のように自分の心に入ってくる作品です。
『車輪の下』のあらすじ
主人公であるハンス・ギーベンラートはある田舎町の普通の商人の家に生まれたにも関わらず、非凡な才能を持って産まれました。
彼は周囲の期待に応えようと寝る間も惜しんで勉強し、神学校に二番の成績で入学します。
輝かしいエリート街道を歩いていたハンスでしたが、ある生徒と出会ったことで自分の欲望を押し殺してきたこれまでの生き方に疑念を持つようになりました。
結果、周囲の期待と自分の気持ちとの乖離に苦しみ、ついに神学校を退学します。
神童と呼ばれた少年
なんの変哲もない田舎町の、どこにでもいるような商人の家に生まれたにも関わらず、主人公ハンス・ギーベンラートは類稀なる非凡な才を持ち生まれます。
少年ハンスはやがて、神学校への入学を期待されるようになります。毎日16時までの学校と、6時までの復習。それと週二回の数学の勉強を夕食後に一時間。そして、日付を超えるまで終わらない課題。
大好きだった釣りもやめ、寝る間も祈る間も惜しんでハンスは勉強を続けます。周囲の期待に応えるために。
勉強尽くし毎日に頭が痛くなりながらも、ハンスは無事試験に合格し神学校へ入学します。
友情と挫折
神学校に入ったハンスは、同室のヘルマン・ハイルナーと親交を深めていきます。
勉強家のハンスと違い、ハイルナーはいわゆる天才肌で一風変わった雰囲気をたたえていました。
ほかの生徒がギリシャ語の文法を頭に詰め込んでいる間に自然に触れ心を豊かにし、自分が生きたいように生きる彼にハンスは次第に影響されていきます。
ハンスはハイルナーとちぐはぐながらも友情を築きますが、同時に勉強をサボり始めます。
勉強を忌むハイルナーと、勉強に励むべきだという周囲の期待との板挟みに陥ったハンスは、精神を病み、頭痛に悩まされるようになりました。
やがてハイルナーは度重なる校則違反と脱走の末に放校処分となり、ハンスも体調不良によってあんなに苦労して入った神学校を退学してしまうのでした。
再出発と死
神学校を退学したハンスは故郷の田舎町に戻ると、父の勧めで機械工として再び人生をスタートさせます。
しかし、神学校で負った心の傷と周囲からの失望の眼差しは次第に彼の心を蝕んでいきました。
かつては神童と呼ばれ、将来を期待されていた少年ハンスの変貌に町の人々は同情の目を向け手を差し伸べますが、それすらもハンスを追い詰めます。
それらから目をそらすように、そして情けない自分から逃げるためにハンスは仕事に打ち込みます。
しかし、ある月の美しい夜、哀れなハンスは川を覗き込んだまま転落し、翌朝死体となって見つかるのでした。
『車輪の下』を読んだ感想
この小説を読んで私がまず最初に抱いた感想は、「このハンスという哀れな男は、どこか自分に似ている」という漠然とした共感でした。
もちろん、作者の繊細で美しい少年の心理描写もその要因の一つです。
しかし最大の要因は、自分と向き合わず周囲の期待にただただ応えようと生きるハンスの姿が、義務感に駆られて日々を生きる自分と重なることでした。
この小説は、ある少年の哀れな一生と苦難を描きながら、義務の中で生きる私たちが抱える問題や苦悩をも描いているのです。
少年への憐憫
主人公ハンスの人生は、とにかく不幸に満ちています。
その要因の一つとして、登場人物の誰ひとりとしてハンスのことを真剣に考えている人がいないことが挙げられます。
父親を含め、登場人物の中にはハンスに優しくしてくれたりよくしてくれる人もいますが、それは
- 「周囲がやっているから」
- 「町の評判があがるから」
- 「自分に必要だから」
という理由がほとんどで、真にハンスのことを思って行動してくれた人はいませんでした。
あの親友のハイルナーでさえ、『一種の飼いネコ』のような存在としてハンスを扱っていたのです。
また、ハンス自身も自分のことを真剣に考えてはいません。
ただ他人からの期待に応えるばかりで、なにをすれば自分のためになるのか、自分が何をしたいかすら考えていないのです。
それは幼い頃にやりたいことを全て我慢させられた経験からくるものなのですが、最後まで自分と向き合えなかった、もしくは向き合った結果死を選んだハンスの人生には、憐憫を禁じえません。
私たちと似ているハンス
このように数奇な人生を辿ったハンスですが、この少年の苦悩には、現代社会に生きる私たちにどこか通じるものがあるように感じます。
『あれもこれもいったいなんのためだったのだろう?』
『だれか自分より強い勇気のある人が自分を連れに来て、ひっぱって行き、いやおうなしに幸福にしてくれたら』
これらの言葉に共感する人は少なくないのではないでしょうか。
私は高校時代にこの小説を読んだのですが、周囲に言われるままにひたすら努力するハンスの姿が、親の期待に応えようと大学受験に憔悴する自分と重なり、とてもシンパシーを感じたのを覚えています。
「自分のため」に生きる
小説の中で、ハンスは一貫して自分のために生きておらず、他人から与えられた選択肢の中でしか生きていません。
これは、ハンスが自分自身と向き合うことから逃げ続けたことに起因しています。
作者ヘルマン・ヘッセは、このような言葉を残しました。
「君自身であれ!そうすれば世界は豊かで美しい」
これは「ツァラトゥストラの再来」というドイツの青年に向けてヘッセが綴った言葉の中の一文です。
この言葉に、『車輪の下』のテーマが込められていると思います。
「大切なのは自分と向き合うこと」「自分と向き合い、自分のために生きること」という、至極ありふれたテーマではありますが、緻密な描写ゆえに、他人事ではない確かなリアリティとともに流れ込んできます。
読み終わったあとには「自分はハンスのようになってはいまいか?」と自問してしまうような作品でした。
『車輪の下』はどんな人におすすめ?
中高生や、このような方にはぜひ読んで欲しい作品です。
- どうして頑張っているのか分からなくなってしまった人
- 頑張ることに疲れてしまった人
- 自分の将来に悩んでいる人
先述のあらすじや感想の中で少しでも共感を覚えたり、考えることがあった人には絶対読んで欲しい作品です。
また、人生の岐路に立たされることの多い中高生にもオススメの作品でした。
おわりに
この小説が出版されたのは、1951年とかなり昔のことです。
また内容も「ドイツの田舎町に生まれた、神学校を目指す少年」という、国も時代も状況も全く違う少年の一生の物語です。
このように私たちとは全くかけ離れた時代のかけ離れた状況の物語であるにも関わらず、思わず共感してしまうのは、この作品が描く少年の苦悩や問題が、現代社会を生きる私たちが持つ苦悩と時代や国を超えて共通しているからに違いありません。
不朽の名作と呼ぶに相応しい一作です。
著:ヘルマン・ヘッセ, 翻訳:高橋 健二
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